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うつ嫁はなまると夫とそれと。~嫁がウツになったった~

嫁はうつ病だと思ってたら双極性障害でした。過去離婚目前だった夫婦が、息子と家族三人で嫁の病気を乗り越えていく。(予定)

【別枠】夜も更けたから、黒い話する。2

 

yomeutublog.hatenablog.com

 

 

私の記憶はとても曖昧だ。

中学1年の夏に引っ越しをする前まで育ったはずの家での記憶が殆どない。

両親から聞いた話と、数少ない自分の記憶を頼りに、12歳までの私を補填している。

 

私は小学校3年生まで父方の祖父母と同居していた。

それ以降祖父母は、父の姉、つまり伯母家族と同居になった。

理由は従妹が生まれたから。

共働きだった伯母と伯父は、祖父母に従妹の子守をしてもらいたかったのだ。

おばあちゃん子だった私は、家庭内で拠り所をなくした。

それはおじいちゃん子だった2歳年下の弟も同じかもしれない。

父も母もとても厳しい人だった。毎日のように怒鳴られたし、手を上げられていた。

時には蹴飛ばされ、髪をつかんで引きずられたこともあった。

今にしたら虐待と言われるのだろうか。しかし、私はあまり覚えていないので、それが本当の記憶なのかは定かではない。

母の話では、女である私に父は途中から手を上げなくなったそうだ。その代り、弟には必要以上に暴力をふるい、私も弟も、相当叱責されていたそうだ。

 

祖父母が家を出て、私と弟には祖父母が使っていた部屋を子供部屋として与えられた。

高学年になる頃には、物置部屋として使われていた4畳半を整理し、私の部屋にしてくれた。

自室が持てて嬉しかった。

 

自分の記憶があいまいな事には大人になる頃、気付いた。

 

ある時、夕飯の最中に父に怒られ、食事を取り上げられ、4畳半で膝を抱えて泣いている私がいる。隣のリビングから父と祖母の言い争う声が聞こえてくる。

 

そんな記憶があるのだが、祖父母が家を出たのは自室ができる数年前の話で、自室で泣いているならば祖母は居ないはず。

あれ?おかしい、と思った時、他にも色々と思い出せない事がある事に気付いた。

 

祖父がいつも昼寝をしていた場所は思い出せるのに、父がテレビを見ている場所が思い出せない。

キッチンの造りや家具の配置は思い出せるのに、食卓で誰がどこに座って食事をしていたのか思い出せない。

私の門限は”夕焼けチャイムが鳴り終わるまで”だったのだが、一度だけチャイムが鳴り終わるまでに帰れなかったことがある。必死で自転車をこいで家に着いたのに、玄関を開けようとした時、ちょうどチャイムが鳴り終わってしまった。

その瞬間、私の目の前で玄関の鍵が掛かった。『カチャン』

とてつもなく大きな音に聞こえた。言いつけを守らなかったから、いらない子だと判断された。それだけしか思い浮かばなかった。その記憶は鮮明にある。

しかし、本当は、たまたま一瞬の差で帰宅した父が何の気なく鍵を閉めただけだったの

だ。私にはとても長い時間に思えたが、きっと数分の事だろう。泣きながら意を決して玄関の呼び鈴を鳴らした。出迎えてくれた母は優しかった。父も「ごめんな~怖い思いさせたな」と言ってくれた。怒られなかった記憶。

でも、その時の両親の顔は全く思い出せない。

 

父と母は勿論今でも健在で、二人の顔は分かる。

だからきっと両親はあの時、『こんな顔をしていたのだろうな』と想像することはできる。そうやって、私は記憶を補填していく。

 

そうやって補填していった私の記憶は、いつの間にか誰かの記憶に成り代わっているようだと最近気付いた。

 

私が思い出す記憶には、必ず私が出てくる。

まるで映画やドラマを見ているように、私は私を後ろや横から見て、記憶を思い出す様になってしまった。

まるで他人事みたいだ。