うつ嫁はなまると夫とそれと。~嫁がウツになったった~

嫁はうつ病だと思ってたら双極性障害でした。過去離婚目前だった夫婦が、息子と家族三人で嫁の病気を乗り越えていく。(予定)

【別枠】夜も更けたから、黒い話する。3

 

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2歳年下の弟は小さい頃、病弱だった。

何度も夜中に救急搬送されていた記憶がある。私は家で一人で寝ていた。

もしかしたら別室に祖父母がいたかもしれないが、今は確認するつもりもない。

 

母は弟を溺愛していた。

過保護と呼ぶのが合っている。父に必要以上に暴力を受けていた弟を守りたかったのかもしれない。

そして心の拠り所だった祖母が傍にいなくなり、私も弟に対しそれはとても辛く当たった。「お姉ちゃんお姉ちゃん」と寄ってくる弟が、煩わしくてたまらなかった。

だから、余計に母は弟を気にかけていたのかもしれない。

母の溺愛ぶりは異常だと思う程で、今は結婚して父親になった弟だが、初めて彼女が出来たと聞いた時、私は母が怒り狂って彼女に何かするのではないかと、心底怖かったくらいだ。

 

その点、私は大分放任だったように思う。

怒られた記憶は数えきれない程あっても、門限以外で弟の様に心配された記憶があまりない。

私の小学校の頃の成績は中の中。悪くもなければ良くもない。

対して弟の成績はあまり良くなかった。

 

弟の次の日の支度を用意している母を思い出すことはできるが、私の支度を一緒にしてもらった記憶はない。

そして、その記憶は間違っていないと確信が持てる。

 

私は、小学校3,4年生の頃、宿題をしたことがないからだ。

なぜ宿題をしていなかったか分かるかと言うと、3,4年生の時の担任は宿題を忘れた生徒を後ろに立たせていたからだ。

1時間目は立ったまま授業を受ける。私は毎日立たされていた。途中からは「宿題忘れは後ろに立てー」と言われる前に自発的に立っていた。

忘れ物もとても多い子供だった。

 

母が私の次の日の支度を一緒にしていてくれていたならば、毎日宿題をしていない事に気付く。私にはその確認がなかった。

代わりに「宿題は終わったよ。明日の支度も終わった」と嘘を吐くことを私は覚えた。

私の事を認めてくれていたと言う考えもできるが、その時の私は祖父母の同居がなくなり、母も弟ばかりを可愛がる、父は相変わらず厳しい状況下でそんな風には思えなかった。

宿題をしていなかったのは私の反抗であり、SOSだったと思う。

 

中学になっても成績の位置関係は私も弟も変わらず、私が受験に備えて塾に行きたいと言った時、お金の無駄だと言われたのに対し、弟は塾に通った。

 

結果、私は都内でも下から数えた方が早い高校に進学し、弟は中の上の高校に行った。

ランクを上げた挑戦をする勇気も、根拠も何も持てなかった。中学の先生にはもう少し頑張れば上の高校を目指せると言われたが、必ず受かれる高校にした。

この時既に、私には自分の価値を自分自身で浮上させるスキルがなかった。

 

今、私が当時の私の傍にいてあげられるなら、思いっきり抱きしめてあげたい。

大丈夫だと力いっぱい抱きしめてあげたい。

 

しかし、私はとても最低な人間だ。

親になった今、息子にそうしてあげればいいのに、私はことごとく母に似ていると思う。そして昔からなんの進歩もしていない。

初めて私は母の子なんだと確信したのは、まだほんの赤ん坊だった息子に怒鳴った時。

怒鳴った声が母親だった。自分で発した声のはずなのに、後ろから自分に向かって怒鳴られているような錯覚がした。

そして成長した息子が「ママ、ママ」と言うのが、弟の「お姉ちゃんお姉ちゃん」とリンクする。私は、幼い弟に辛く当たったように、息子にも辛く当たってしまう。

弟は母が守っていてくれていたけれど、息子は…?

私が、小学生の頃の私のまま、何も昇華出来ていないせいで、今度は息子に私と同じ思いをさせてしまうのではないか。私のような出来損ないにしてしまうのではないか。

叱った時に見せる息子の”無表情”を見る度に、胸がざわついて仕方がない。