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うつ嫁はなまると夫とそれと。~嫁がウツになったった~

嫁はうつ病だと思ってたら双極性障害でした。過去離婚目前だった夫婦が、息子と家族三人で嫁の病気を乗り越えていく。(予定)

【別枠】夜も更けたから、黒い話する。5

 

yomeutublog.hatenablog.com

 

 

幸か不幸か、私はとても家族仲がいいと思っていた。

そして、自分の記憶のあいまいさにもそこまで興味はなかった。子供の頃の記憶など、皆あやふやなものだと思っていたからだ。

 

父も母も厳しいが、愛されている。出来損ないの姉の反面教師でとても賢く優しい子になってくれた弟。

私はそんな家族を心底好きだった。

 

私が二十歳を迎える前年、両親から私たち姉弟に報告があった。

「お前たちに弟か妹が出来た」

あまりの衝撃にお腹を抱えて大笑いしたのを覚えている。

両親に「おめでとう」を伝え、家族の仲を再確認したような気持になった。

 

生まれたのは妹だった。

彼女がこの世に生まれたころには、私は既に家を出ていたのだが、わが家に舞い降りた天使に会いたいが為に、貢物を持っては度々実家を訪れた。

私が家を出た数年後に一人暮らしを始めた弟も同じ様子だった。

 

妹は本当に天使だった。

同じ遺伝子の基に生まれたとは思えないほどの可愛さだった。

長年、2人姉弟だった私たちは、3人きょうだいになった。

 

彼女とは今でもいい姉妹だと思う。

20も違う私を「お姉ちゃん」と呼び、二人で買い物に出かけたり映画を見たり、弟とは違う姉妹の楽しさを教えてくれる。

 

しかし、妹が成長していくにつれ、なぜだか何とも言えない不快感に襲われた。

案外長い間、その答えは見つかることがなく、私の気持ちは少しずつ実家から遠ざかっていた。

 

答えは、ある時、弟が教えてくれた。

「父さんも母さんも俺らの時に比べるとすげー甘いよね。」

そうか、私の抱いた不快感はそれに違いない。

歳を重ねて生まれた子供だからか、妹は蝶よ花よと育てられた。

 

私の記憶にない、両親が存在している。

きっと弟も少なからずそう思っている。

 

それでも妹が健やかに成長してくれればそれでいいと思った。

 

当時、父方の伯母家族と同居していた祖父は、私が高校生の時に病に倒れ、祖母は独り身だった。伯父との折り合いも悪かった様で、見かねた母が妹が出来たことを口実に、また一緒に住まないかと祖母を呼び戻していた。

 

実家は父、母、祖母、妹の4人暮らし。

親子3代仲良く暮らしていると思っていたが、私と弟が離れた実家は、思っていたよりひどい有様だった。

 

世界的な大不況の煽りを受け、父の給料は激減。母は昼夜問わず仕事をしていた。

父は私や弟の代わりに物に当たるようになった。

仕事が減ったために母に馬鹿にされた様な思いを抱いたようだ。

いつしか物は言葉へ。そして母へ代わった。

 

ある晩、父と母は何かの拍子に口論となり、とうとう父は母に手を上げた。結婚してから母にだけは一度も手を上げたことがなかった父が、母の髪をつかみ、床に叩きつけ、何度も蹴飛ばしたそうだ。

妹が泣き叫ぶのも構わず、祖母が止めに入るのも振り切り、暴力は続いた。

 

その晩、母は妹を連れ、家を出た。

その事は母から聞いた為に誇張されているとは思うが、私はあり得る話だ、と思った。

 

そして数か月後、そのままお互いに顔を合わせることなく、両親は離婚した。

 

離婚の仲裁には、なぜか弁護士とは別に私も入った。

両親から各々お互いの状況を探る連絡が来た為、入らざるを得なかった。

この数カ月の間に、私の補填してきた幼かった頃の幸せな記憶は大部分が崩れて行った。

仲が良かった家族は、ただのハリボテだった。

 

私の”愛されていた”記憶が消えてなくなった。

 

のちに母から言われた言葉が全てを語ってる。

「妹の妊娠を報告した時のあなたの顔は忘れない。『離婚する』と言われるだろうと思って怯えていた。でも、違ったから、あなたは安心して笑った。あの時の安堵したあなたの顔は一生忘れられない」

私は、とても苦々しい気分だった。