うつ嫁はなまると夫とそれと。~嫁がウツになったった~

嫁はうつ病だと思ってたら双極性障害でした。過去離婚目前だった夫婦が、息子と家族三人で嫁の病気を乗り越えていく。(予定)

精神疾患者の「死にたい」や「逃げたい」は健常者の言うそれとは意味が違うから気を付けて欲しい。

こんばんは

はなまるです。

  

※今回は”健常者”と”精神疾患者”と言う言葉を多用します。

※初めてお越しいただいた方へ 私はうつ病の治療中です。

 

 

 先日、夫と私の病状の話をしていて、「あぁ、やっぱり色々調べて病気の事を勉強してくれてても、実際の状況って分からないんだな」と思った事があり、健常者の方へお伝えしたいなと思って書きます。

 

 

「夫に分かってもらえない…」とか、そう言う後ろ向きな事ではなくて、むしろ「分からなくて当然だよね」と納得したと言いますか。

見聞きしてなんとなく理解はしていても、当事者になって初めて気づく『ニュアンスの違い』とでも言うのでしょうか。

それをお伝えしたいなと思った次第です。

 

私の考えなので、見解が違う方も沢山いると思いますが、読んでいただけたら嬉しいです。

 

健常者の『死にたい』と『逃げたい』は同義語

疲れた時とか、気が乗らない事があったりすると

「マジ無理死ぬ」

とか

「どこか遠くに逃げたい」

って思う事、誰でもありますよね。

私も健康に仕事してた時「無理無理死んじゃう」ってよく言ってました。

 

健常者の”死にたい”とか”逃げたい”はほぼ同義語だと思います。

要は『現実から目を背けたい』時の総称として使うわけです。

 

なので、健常者は死にませんし、逃げません。

 

『死にたいと言ってるうちは人間大丈夫論』は健常者だけ

『死にたいと言ってるうちは人間大丈夫』と都市伝説の様に言われているのは、相手が健常者であることが大前提になるんです。

なので、前提が崩れる場合、これは当てはまりません。

しかし、医者でもない我々は、”健常者”か”精神疾患者”か見分ける事は難しい。

病院に行っていないけれど、精神を病んでいる(又はそうなりかかっている)方はたくさんいて、ちょっとやそっとじゃ見分けはつきません。

ならば、『死にたいと言ってるうちは人間大丈夫』の心理は全員捨てた方がいい。

  

その心理を捨てられない人が多いので、自殺って聞くと周りは驚くんだろうなと思います。

電通の彼女もSNSで何度も呟いていたそうですね。

「死んじゃう」って。

 

先程私は、健常者は死ぬって言っても死なないし、逃げたいって言っても逃げないと言いました。

彼女はもはや健常者ではなかったんだと思います。

精神疾患者の”死にたい”は現実に目を背けたい訳じゃありません。

”死にたい”は”死にたい”なんです。そのままの意味で受け取ってほしい。

 

精神疾患者の『逃げたい』は『死にたい』とは意味が違うが、直結する 

私は、精神疾患者の”逃げたい”は”死にたい”と同義語ではないと感じています。

ですが、直結する言葉だと思います。

どういう事かと言うと、”逃げたい”には未来があるんです。

『今、この状況から逃げ出したい』

 

しかし、『ここから逃げても次がある』事を知っています。

例えば、今の会社が辛くて辞めても、次には就職活動がある。またその先には違う『辛い』がある。

逃げても逃げても生きている限り逃げきれない事を知っているのです。

だから、逃げてもどの道辛い→死にたいと直結した考えになります。

逆に、逃げたいと思ってるうちはギリギリ未来を見ていると私は思います。

 

精神疾患者が『死にたい』と言ったら次はない

私は”死にたい”と思わないようにしています。

勿論、”死にたい”に支配された時もありました。

でも、ギリギリ”逃げたい”で踏ん張ります。

そこが要だと思うからです。

 

 ”死にたい”と思う時は、もう未来の事は考えたくないのです。

逃げても逃げても人は人と繋がってないと生きていけない。

どんなに逃れようと思っても生きている限り『辛い』は付きまとうのです。

家族がいるから・恋人が、友達がいるから・自分が死んだら悲しむ人がいるから

そんなことは未来の話です。

精神疾患者が”死にたい”と言う時、それらは全て『辛い』対象になってしまうと思います。

また、その時は自力で死にたい気持ちを抑え込んでも、”死にたい”は次から次へと襲い掛かってくるのです。

まるで死ぬまで終わらないゲームの様に。

 

『死にたい』と言ったら抱きしめて欲しい

何度でも何度でも大切な人を抱きしめて下さい。

その一瞬、”死にたい”から”逃げたい”に考えが変わります。

”逃げたい”には未来がある。私はそう思っているので、一瞬一瞬、未来がある方向へ引き戻してあげてください。

一度”死にたい”と思った気持ちを未来に向かせるのは容易ではないと思います。

別に言葉はいりません。残念ですが言葉で励まされても効果は全くありません。

むしろ、”死にたい”気持ちの時に前向きな言葉は刃物を突き立てられるのと同じ感覚です。

何度でも何度でも抱きしめて下さい。

大切な人のぬくもりは、それだけで救われる気持ちになります。

 

『死にたい』は最後のSOS

現在、うつ病の治療中の私は、未だに全てから逃れたい気持ちが消えません。

日々、細々した生きていく上での事柄から逃げたいと思ってやみません。

そしてその先には病状が落ち着いたら落ち着いたで就職を考えたりと、また様々な問題が出てくると思います。

それら全てから逃れたい。

でも、死にたくない。逃げたいで留まっています。

”死にたい”と口にした時には最後のSOSを勇気を振り絞って発信してると考えてもらいたいです。

それは、きっと私だけではなくて、全部を捨てて逃げ出したいギリギリのところで踏ん張ってる方みんなそうだと思います。

 

『逃げたい』にはいつか光が差し込む

私は精神疾患者が”死にたい”と言った時、本人の目には未来は見えていないと思っています。

しかし、”逃げたい”であれば未来がある。いつか”逃げなくていいと思える気持ち”を持つことが出来るようになると思っています。

その為には、一旦身を引くことも勇気です。

急がば回れ。ゆっくりゆっくり、ひとつひとつです。

 

最後に

精神疾患者の”死にたい”は、紛れもなく”死にたい”なんです。

あなたに、助けて!って言ってると思って欲しい。

 ”死にたい”は”生きたい”の裏返しなんかじゃないです。

あなたが思っているニュアンスと、もしかしたら少しズレがあるかもしれません。

でもきっと、あなたの気持ちは届くから、諦めないで抱きしめていて欲しい。

 

 

お付き合いいただきありがとうございました。

 

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